オチ芸術、COSMIC EGGに挑む大それた挑戦!

オチ芸術、COSMIC EGGに挑む大それた挑戦!
-天国のオチちゃんに捧げる-

2015年7月
グリーンアートギャラリー
田 村 治 典

私は無名の関西の貧乏画商である。
 その私の近辺が最近、少し賑やかになった。九州派の原点であり天才とも称されたオチ・オサム氏が2015年4月に急逝されたからだ。専属画商らしいことは何ひとつ出来なかったが、オチ氏自身が私を自分の画商として世間に紹介し、私もその気になっていた。
『世間話こそ芸術談義だ』 ―オチ談
 オチさんといえばすぐアルコールとの関係を思う人もいるが、晩年のオチさんはタバコもアルコールもやめていた。しかし、私が行くと奥さまの順子さんに『じゅんこ~田村さんが来たよ~!ビール出してあげて・・・』と私のため?にせいぜい1本の缶ビールをねだった。夫の画家としての天才性を微塵も疑わず、この手間のかかる画家を献身的に支え続けた順子夫人は、小さな子どもに接するように、時に優しく、ときに厳しくオチさんを包んでいた。
 私たちはその順子さんから巻き上げた貴重な1本の缶ビールを酌み交わし、他愛のない世間話に花を咲かせた。それでも別れ際にいつもオチさんは『久しぶりにいい芸術談義が出来た』と喜んで戴けたのだが、世間話のどこが芸術談義なのか、オチさんらしい話だ。
『私は天才ではないが、いい作家だと思っている』 ―オチ談
 オチさんについて語るとき、『天才』という言葉をよく耳にする。これは、19歳で二科展に初出品した『マンボの好きな子ども』『花火の好きな子ども』の2点の作品が2点とも初入選を果たし、当時の美術手帳に針生一郎がこの新人に『天才』の冠をつけて紹介したのがキッカケであろうか。その後、数々の天才的?言動が話題を呼ぶことになるのだが、おいおい、記していきたい。
 ここでは私が考える『天才』の意味の馬鹿ばなしにお付き合い頂こう。人はそれぞれ才能を入れる器を持つ凡人である。ある人は自分の才能でその器を満たし、ある人は自分の器を空っぽにし、じっと時を待っている。天は平等に天の才能を賦与しようと臨んだが一方の器はすでに満杯で入れる余地がない、他方は空っぽだったので哀れんだ天の才能はその器を満たした。他者との比較が必須の美術界において、他者を悪く言うことのなかったオチさんの素直さこそ、自分を誇らぬ天才たるゆえんだろう。
『言う事を聞く絵の具』
 ある日、オチさんのアトリエを訪ねると制作中であった。私は張り詰めた雰囲気の中で、息を詰めて見入っていた。それは『Cosmic Fire-fly宇宙蛍』という宇宙のいとなみの軌跡を蛍に模して表現したようなドリッピングシリーズで、新聞紙の上に置かれた紙の上に絵の具を垂らしていくのだが、筆の最後をバシッと紙に叩きつけていた。
 やがて描き終え、緊張が解けると私はすぐに作品の下に敷いてあった新聞紙に近寄った。遠目に感じたある疑問を確認するためだ。やはり、最後にバシッと叩きつけた絵の具の飛沫で下敷きの新聞紙が汚れていないのだ。つまり全ての絵の具の飛沫が画面の中に収まっている。
 私はそれまでドリッピング技法は、知性的な技法というより、幼稚園児が描くように、画面に絵の具を垂らし、どこに流れていくかわからない偶然性が創る造形美だと思っていた。
『球体を描くのは、もう、やめた!』 ―オチ談
 球体画家として知られるオチ・オサムが球体を描き始めたのが1960年代後半の渡米時期からと言われているが、球体の描き納めがいつなのかを知る人は少ない。1995年4月に小倉そごうで開催した個展は阪神大震災や地下鉄サリン事件などがあったので『青空の下で』と題し、ここに初めて発表したのが、今はやりの逆遠近錯視絵画の先駆的作品『フォンタナに捧げる』シリーズである。
 これはキャンヴァスを鋭利なカッターで切り裂き歴史に残ったフォンタナを意識した作品だ。キャンヴァスに見立てたまな板の所々を半球形に彫り、その凹んだ部分に描いた球が鑑賞者の目のイリュージョンによって普通の球に見える挑戦的作品で『アート・イズ・サプライズ』を標榜するオチさんらしい実験的作品である。
 この技法を使った作品をオチさんがコッソリ進化させていたことを私たちは、何年も気づかなかった。
 この進化したとんでもない作品に最初に気づいたのは、画家のS君である。
 そのS君が突然、素っ頓狂な声を張り上げた『絵の中の球が消える!』『そんな馬鹿な!』駆けつけると確かに絵の中の球が現れたり、消えたりしていた。『偶然やろ』『いや、私は絵描きだからわかる。偶然でこんなことは絶対にない』そこでオチさんに確認の電話を入れることにした。電話口のオチさんは急に不機嫌になり『そんなこと知るか! 凹んだ球にいろいろ描いてるんだ。そりゃ、いろんなことが起こるよ。もう、球体は描かん!』と怒り出した。その剣幕があまりにすごかったので、ああ、やっぱり意識的に描いていたんだ。しかし、これがオチさんの球体の断筆宣言となってしまった。2008年春のことである。
『私は農本主義者だ。その辺の草木を見ても石ころを見ても神さまを感じるのだ』―オチ談
 オチ芸術の真髄が球体作品に表現されているのは、誰もが認めるところだが、人の考えは多様で時代とともに変遷もする。鑑賞者のことなど、気にしない制作者だが、だからこそ両者は『時代の子』という共通の地下水脈で共振し、普遍化するのだ。
 ましてオチさんのように芸術が高尚なものとして奉られるよりも、作家の制作意図よりも、鑑賞者それぞれの生き方や、考えを作品に移入してそれぞれの絵画が完成することを作家冥利だと思っている画家にとって、自分の作品の美術史的分類や評価に頓着がないのかも知れない。
 その時代の身近な日常の材料を用い、非日常の美を創造する表現者であった。球体のモティーフにしても、最初の1球が地球だったと想像できるが、この創造者は地上の争いをなくすため、いくつもの地球を増殖していく。多数の球が生まれると、マクロ的宇宙やミクロ的微粒子界を想起する人々が現れる。やがて無機質な球体はCOSMIC EGGとしての源魂と、被造物としての生命を獲得し、体温のある生命のオーケストラまでもが投影できる絵画へと進化した。
私観、オチ芸術の『見える化』を畑で実験
 私はオチさんの生前の友であり、画商である。私の任務はオチさんが望む  絵画という虚空間に触発されたエネルギーを生活者の実像に変えることだ。
 私自身が鑑賞者の一例となることだ。そこで私は画廊を飛び出すことにした。オチさんの絵が私に与えた個的な影響として、日本一の里山といわれる兵庫県川西市黒川村に1000坪の休耕地を借受け、自然農園としてのオチ芸術の具現化を始めた。
 オチさんは大きな球体、夫人はそれに寄り添う球、子どもたちのために作ったロープウエイやプールは大きな球体、トマトやきゅうりは小さな球体、マムシは怖いから中くらいの球etc。それぞれの球体には鑑賞者である私の独断と偏見により色と大きさが振り当てられる。さしずめ私はみんなを結ぶ線か。そのうち天国のオチちゃんが私の耳元で『ああせろ!こうせろ!』と口を入れてくるにちがいない。
 そんなことをニタニタ想像しながら、今日もオチさんの芸術を愛する者の一人として、畑仕事にいそしんでいるのである。